丸亀市のシンボル、丸亀城。「天守が残る日本一小さな城」として親しまれ、日本のみならず海外からも観光客が多く訪れます。
今回は、丸亀城を知り尽くした丸亀市職員に城内を案内してもらい、知られざる歴史や見どころ、そして今しか見られない石垣復旧工事について教えてもらいました。

1.実は、「山﨑家」が作った城!?意外と知らない丸亀城の主役
城内に入る前に、丸亀市文化財保存活用課の眞鍋さんが話しはじめました。
眞鍋さん:市内を歩いていると、至る所で四角い紋章が目に留まります。これは「四つ目結紋(よつめゆいもん)」と呼ばれる、丸亀藩主・京極家の家紋。市民の間でも「丸亀城といえば京極家」というイメージが定着していると思いますが、城内の石垣のほとんどは京極家の時代に築かれたものではありません。

え!丸亀市出身の筆者も、丸亀城=京極家のお城だと思っていたのですが、そうではないのですね……。
眞鍋さん:丸亀城の歴史をたどると、生駒家、山﨑家、そして京極家とお殿様が変わっています。明治まで長く治めたのは確かに京極家ですが、今、私たちが見ている城内の石垣のほとんどは、山﨑家の時代に作られたものなんです。
眞鍋さんによると、最初の城主・生駒家が築いた城は「一国一城令」によって取り壊され、現在に残る壮大な石垣をはじめ、丸亀城を再び築き上げたのは、その後に城主となった山﨑家。山﨑家はわずか十数年で世継ぎが絶えてしまったため、京極家へとバトンを渡すことになったそう。
私たちが感動するあの石垣の造形美は、短くも情熱的な時代を駆け抜けた山﨑家の「情熱の結晶」だったというわけです。
2.「一の門」と「天守」が同時に見られる贅沢
お堀を渡って「大手一の門」へと進んでいると、眞鍋さんが足を止めました。
眞鍋さん:ここ、注目してください。重要文化財「大手一の門」の上に、同じく重要文化財「天守」が見えています。「大手門」と「天守」が現存しているお城は、全国でも丸亀城、高知城、弘前城の3つしかありません。しかも2つが同時に観られるこの光景は、非常に珍しいんですよ。
早速、絶好のフォトスポットの登場です。大手一の門は「太鼓門」とも呼ばれ、かつて太鼓を打ち鳴らして城下に時刻を知らせていたことからその名がついたそう。二の門とあわせて、城を守る重要な役割を果たしていました。一の門の内部が鑑賞できるということで、中に入ってみることに。


眞鍋さん:現在の丸亀城は、1640年以降に再び作られたお城。「〇〇の合戦」みたいなものが終わった平和な時代でしたが、お城が重要な軍事施設であることに変わりありませんでした。なので、敵に攻められたときを想定して、門戸には「石落とし」や城下を一望できる窓がついています。
二の門を通った時に、三角や四角の穴がいくつも開いていたのが気になったのですが、これらは「狭間」と呼ばれる、鉄砲や矢を打つ用の穴なのだそう。一の門、二の門の見学を通してかつての武士たちの視線を追体験し、平和な時代であっても城がもっていた「備え」の緊張感を感じました。
3.「扇の勾配」に隠された、石垣の美学と鉄壁の守り
市民のウォーキングコースとして定番の「見返り坂」を登っていくと、丸亀城の代名詞ともいえる石垣が見えてきました。総高約60mという日本一の石垣は、圧倒的な存在感を放っています。とくに見返り坂の途中から見える石垣の曲線は、その美しさから「扇の勾配」と呼ばれています。

眞鍋さん:丸亀城の石垣の多くは「打ち込みハギ」という積み方でできています。石を割って形を整えたものを並べ、隙間に小さな石を詰めて積み上げます。これによって、より高く、より急な角度で石を積むことができると言われています。
単に美しいだけでなく、この形状は軍事的な役割も果たしています。石垣が屏風のように折れ曲がっている「つづら折り」の構造は、攻めてくる敵を正面だけでなく、側面からも攻撃するためのものです。
眞鍋さん:昔の人は、これだけのものを全部人力で積み上げていたそうです。私は今、石垣の復旧工事を担当しているので、当時の技術のすごさを改めて肌で感じています。
石垣の復旧工事の話は、また後で。
4.かつては市民のライフラインになっていた「二の丸」
息を切らして見返り坂を登りきると、「三の丸」が現れました。三の丸は城内で3番目に高い位置にあり、飯野山を正面にした景色が広がります。意外と知られていないのが、三の丸からもう一段上に上がった、大正時代の二の丸の姿です。

眞鍋さん:実はここ、昔は大きなプールのようになっていて、配水池だったんです。土器川から上げた水を、急坂の勢いを利用して、城下の水道として流していたそう。私も丸亀市出身ですが、この仕事を始めるまで知らなかったので驚きました。
なんと、市民の生活を支えるライフラインがこんなところにあったとは!この工事のせいで、発掘調査をしても何も出てこないという裏話も、眞鍋さんは話してくれました。
そんな二の丸が最も輝くのは、春。
眞鍋さん:春になると、ここが「桜の海」になるんです。天守のある本丸から見下ろすと、下に桜が一面に広がっていて、本当にきれいなんですよ。
丸亀城のお花見というと、「うるし林」や「芝生広場」で行う方が多いと思いますが、次のお花見はぜひ「二の丸」で。ただし、ここに来るには急な坂道をのぼらなければならないので、必ず「お酒を飲む前」でお願いします!
5.日本一小さな現存天守。瀬戸内海の交通の要所を見張る

ようやく辿り着いた、本丸。ここに鎮座するのは、日本に12か所しか残っていない「現存天守」のひとつです。丸亀城の天守は、現存天守のなかで最も小さく、3階建てで、高さ約15mしかありません。
眞鍋さん:小さくてかわいらしいと思われるかもしれませんが、中に入るとその堅牢さに驚くはずです。ここにも、室内から鉄砲や矢を放つための「狭間」や「石落とし」が備えられていて、山頂という立地を最大限に活かし、最後の砦として機能していたことがわかります。
ここからは城下はもちろん、瀬戸内海の島々まで一望できます。瀬戸内海の交通の要所を見張る、そんな役割をもった場所だったと言えるでしょう。
昭和23年から25年に行った解体修理の際に、壁の中から〈万治3年(1660 年)〉の年号が書かれた祈祷札が見つかりました。このことから、1660年に天守でなんらかの修理が行われたものと考えています。
ほかにも、昭和の解体修理内容が刻まれた銘板や修理に使用した定規などが、3階の柱や梁に添えられています。天守を訪れた際は、ぜひチェックしてくださいね。
6.崩落した石垣の復旧――歴史を次世代へつなぐ、日本初の挑戦
次にお城の南西側、大規模な石垣の復旧工事が行われている現場にやってきました。2018年の西日本豪雨などの影響で、帯曲輪石垣と三の丸石垣(お城の南西部)が崩落してしまったのです。
眞鍋さんは現在、この復旧工事のご担当。工事内容について、詳しく教えてくれました。
眞鍋さん:崩れた石垣を元に戻すのは、ジグソーパズルを組み合わせるような、あるいはそれ以上に困難な作業です。崩れた石一つひとつを回収し、過去に撮影した石垣の写真や、崩れた場所の位置関係などを参考にしながら、どこにあった石なのかを特定。元の積み方、角度、さらには石のクセまでも考慮して積み直していきます。
驚くのは、その数。10,000個ほどの石を、重機を使いながら、最終的には職人の手作業とこれまでの経験によって培われた勘で調整していくのだそう。聞いただけで、気が遠くなりそうな作業です。
眞鍋さん:国や専門家と協力しながら、伝統的な工法を守りつつ、崩落のきっかけとなった大雨にも耐えられる安定した石垣を目指して積み直ししています。実は崩落後の調査の結果、三の丸石垣は高さ31mもあったことが明らかになりました。単独の石垣の高さとしては、大坂城に次ぐ、日本で2番目の高さ。
これまで日本各地のお城で石垣の修理が行われてきましたが、30mを超える石垣の復旧は、日本の石垣修復の歴史でも前例がなく、日本で初めての挑戦となります。この復旧の過程そのものが丸亀城の歴史の1ページになると思い、真摯に取り組んでいます。
復旧工事の完成予定は、2031年3月。工事現場を見学できる現場見学会も定期的に開催されているので、今しか見られない「丸亀城の裏側」に要注目です。

7.まだ解明されていない丸亀城の謎 -石垣の石は、どこから来たのか?-
石垣の復旧工事のお話を伺っているときに、ふと疑問が浮かびました。「これほど膨大な数の石、一体どこから運ばれてきたのだろう?」と。実はこれ、現代においても正確な裏付けが取れていない「丸亀城の大きな謎」なのだそうです。
眞鍋さん:大阪城の石は、丸亀市の本島や広島、小豆島などから運ばれたという明確な記録がありますが、丸亀城の石がどこから来たのか、実は正確な古文書が残っていないんです。ただ、石の種類が花崗岩であることはわかっています。丸亀城の近隣の瀬戸内海の島々は、花崗岩の産地ですから、土木工事のコストを考えると、近くで良い石がとれるなら、そこからもってきたと考えるのが自然でしょうね。
産地を特定するには、採掘地で同じ特徴の石を探すのが一番ですが、花崗岩は今も採石が続いているため、昔の跡が残っていないことが多いそう。最新の解析技術をもってしても、今なお特定に至っていないということでした。しかし眞鍋さん、石垣の復旧現場で驚きの発見をしたと言います。
眞鍋さん:石をよくよく観察すると、牡蠣の殻や貝殻がひっついたままのものがあるんですよ。山で採れた石に貝はつきませんから、丸亀市近辺の島や海沿いに転がっていた岩を、そのまま持ってきたものもあるのではないかと私は推測しています。
石が一体どこからやってきたのか。その答えはまだ、歴史の霧の中にあります。しかし、復旧作業が進む今だからこそ、数百年ぶりに日の目を見た石の表情を間近に観察できるチャンスでもあります。専門家さえも頭を悩ませる、丸亀城の謎。あなたも現地を訪れて、石垣に刻まれた太古の海の記憶や、職人たちの情熱の跡を探してみませんか?次の歴史の目撃者は、あなたかもしれません。
